神BGMの予感

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【本編解説】アメイジング・スパイダーマン2 ~人の最も根源的な欲求は『誰かから必要とされること』~

 

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『最強の敵は打ち切り』

 

 今作は3体の強敵が団結しスパイダーマン抹殺のために動き出すというストーリで、なかでも電撃怪人エレクトロは最強の敵と称されていました。

しかし蓋を開けてみれば、エレクトロやグリーンゴブリン、ましてやライノなんかよりもっともっと凶悪な敵が存在しました。

 

 そう、金と利権です

 

 よもやの打ち切りエンド。さすがのスパイディもスクリーンの外の事情にまでは手も足も出なかったと見えます。この映画が我々に教えてくれた教訓は、正義は金で買えるということなのです←違います。

 

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                だいたいのストーリーが掴めちゃう予告

 

 この映画の主題は『誰かから必要とされること』です。

 誰かから必要とされたい。これは人間の根源的な欲求です。人と親密になりたければ、相手に重要感を与えることが最も大切だと、かの名著『人を動かす』でおなじみデール・カーネギーも述べていました。人は誰かから自分の存在を認められたい、と強く願う生き物なのです。それは本能と言っても過言ではありません。アメスパ2に登場する人間はみんな、誰かを必要とし、そして必要とされながら生きています。現実世界と同じです。だから登場人物に人間味があるのでしょう。

 

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 本作は様々な人間模様が重層的に描かれています。なかでも、ピーター(スパイダーマン)とマックス(エレクトロ)は明確に対比されていました。

 ピーターは大学を卒業し、自分らしく生きる道を模索していました。このままスパイダーマンとして活動すれば恋人グェンを危険に巻き込んでしまう。死んだグウェンの父が幻影となり何度もピーターに忠告します。『グウェンに近づくな』と。しかしグウェンと共にいたい。でもスパイダーマンであることは止められない。ピーターは苦悩します。・・・大変よろしい。ティーンエイジャーらしい悩みです。応援したくなります。あなたの周囲にもいませんでしたか。学生時代から付き合っていたカップルが、就職を機に離れ離れになり、それぞれの歩むべき道に苦悩する。本人は辛いでしょうが、彼らの前には、それでも希望の途が開かれていた筈です。妙齢のおばさまならそんな彼らを微笑ましく思いながらこう言うでしょう。『たくさんお悩み。まだ若いんだからいくらでも選択肢はあるわよ』

 

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 一方のマッスクは随分と行き詰った人生を送っています。朝は人混みにもみくちゃにされながらオズコープ社に出勤します。会社では自分の誕生日に仕事を押し付けられ、挙句の果てにはその成果を奪われてしまう。恋人はもちろん、友達すらいません。マックスは常に誰かから必要とされたいと思っていました。裏返せば、必要としてくれる人を必要としているのでしょう。孤独でうだつの上がらない生活。ロック歌手に最もディスられそうな生き方です。皆から必要とされる街のヒーロー、スパイダーマンとは対照的です。

まぁ私なんかはものすごく親近感を覚えますが。

←確実にピーターの生き方は真似できない

 

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 そんな二人にはしかし共通している部分もあります。それは、『心の拠り所を求めている』という点です。

 ピーターはグウェンを必要としていました。自分がスパイダーマンであることを知っているグウェンはピーターにとって全てを受け入れてくれる唯一の心の拠り所です。

 そして、マックスにとっての心の拠り所はスパイダーマンでした。スパイダーマンが何の気なしに言った『君が必要だ』という言葉は、マックスの心の穴をすっぽりと埋めてくれたのでしょう。

 

 二人は孤独な世界のなかで安息できる場所が欲しかったのです。

 

 しかし、マックスにとって心の穴を埋めてくれる対象は誰でもよかったのです。他の誰でもないグウェンただ一人を求めているピーターとは異なります。その証拠にマックスは、自分に注がれていた注目がスパイダーマンに移った途端、スパイダーマンを敵視するようになります。本当にスパイダーマンを愛していればそんな風には思わない筈です。だから、ハリー・オズボーンからスパイダーマンの抹殺に『君が必要だ』と言われたとき、簡単になびいてしまいました。心の穴を埋める対象がスパイダーマンからハリーに移行したのです。実際は、ハリーはただマックスを利用しただけにもかかわらず。

 

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 そんなマックスはピーターとは違い、スーパーパワーで誰かを救おうという発想には至りませんでした。彼にとって重要な事柄は自分の心の穴を埋めることです。スーパーパワーを利用して、力づくで世間に自分という存在を認めさせようと街の送電網を破壊し始めます。スーパーパワーで誰かを助け、その結果みんなから認められているピーターとは大きな違いです。

 ここが二人の勝敗を分けたのでしょう。マックスの、誰かから注目されたいという動機は、なるほどよく理解できますが、所詮たかが知れています。なぜならそこには理念がないからです。ピーターのように、ベンおじさんを失った責任感や、その悲しみを他の人に味わって欲しくないという信念の方が、より強く人を突き動かします。それは、アメスパが勧善懲悪の話だからではありません。世の真理なのだと思います。

 例えば、お菓子が好きで好きでたまらないというパティシエが経営するお店と、金勘定ばかりの打算で経営されるお店、どちらの方が沢山のお客さんが来店するでしょう。きっと前者に違いありません。

 

 この映画は、そんなマックスのような、『オレがオレが』と自分が満たされることばかり求める姿勢ではいけないということを訴えています。もっと言えば、ヒーローとは自分から与える姿勢でなければならない、ということを訴えています。そのメッセージがよく表現されているのがグウェンのスピーチです。それは―

 

『あなた自身が誰かの希望になって下さい』です。 

 

  自分自身が誰かの希望になろうだなんて、普通は思い至りませんよね。相当意識していないと不可能です。そしてこのスピーチ、実はピーターにも当てはまるのです。

 彼はグウェンやメイおばさんといった周囲の人々から愛を受け取る側にいました。ヒーローといえども彼はまだ子供なのです。成熟した大人になる過程の段階にいます。人から何かを授けてもらうのが当たり前の立場だったのです。彼は確かにスパイダーマンとして街の人々に希望を与える存在ではありましたが、ピーターという一人の人間の部分にフォーカスしてみると、『オレがオレが』というマックスと本質的には大差がないようでした。

 それが、グウェンの死を受け、今度は自分が与える番にならねばいけないと思うようになったのです。それが最後のシーンにつながります。ライノに立ちはだかる小さな子供を守るピーターは立派な大人になっていました。

 誰かから奪ったり与えられたりするのを待つ姿勢ではなく、誰かを助けたり与えたりする姿勢。誰もがそうあれば、世界中がヒーローに溢れ、幸せの輪は循環するでしょう。マーク・ウェブ監督はそのことを映画で伝えたかったのだと思います。

 

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